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1月, 2021の投稿を表示しています

記憶について。

記憶が始まったという時期についてだ。 自学的に写真なので振り返ってみて記憶した。 または思い出したというものではない記憶の出発点は、幼い頃、横になりながら機動武闘伝 G ガンダムの最終話を見ていたのが私の記憶の出発点だ。 それ以外の記憶はどこか写真なので振り返ってみて新たに記憶したような気がする。 ブロックで遊んでいる子供時代、本を読み聞かせてもらっている子供時代。 そのどれも写真などアルバムに載っていたものの焼き直しのように感じるのだ。 そういう感じが、全くない記憶の出発点が機動武闘伝 G ガンダムの最終話だというのは不思議な事だが、全く焼き直しではないと思える記憶はそれだけなのだ。 そこから始まった記憶は子供心に捕まえたカマキリを育てた事や、ちょうちょをつかまえて喜んでいたり、セミを祖父に捕まえてもらい、しばらく虫かごの中においてその蝉の音を聞いていたりしたことは覚えている。 それは焼き直しではなく思い出として確かにあるものだ。 記憶の出発点というものは不思議なものだ。 それ以前のや自分が存在していないようなものだからである。 記憶が存在しないということはそれまでばぶばぶと泣いていたりおしめを変えてもらったりしていたことは覚えていないということだ。 親からすれば悲しい事だろう、最も苦労している時期のことを我が子は全く覚えていないのだ。 だが、子供からすれば軟便が尻についた気持ち悪さや、無理やりおむつを変えられる不思議さも経験しないで済むのだから良いのかもしれない。 そう考えると機動武闘伝 G ガンダム最終話を記憶する以前の私は完全なオートマンと言える。 だが、このオートマンが実はすごいことをしているというのが最近の科学者の中で定説だ。 まず顔認識するためのデータベースを作っていると言われている。 この時に様々な人間の顔を見ることによって人間の顔を見分けることができるようになるようだ。 そしてさらには様々な言葉のデータベースも作っているという。 この時に赤ん坊にどれだけ話しかけたかでそのデータベースの精度や多様性、語句の多さなどが決まるという説がある。 つまりどういうことか。 赤ん坊に多く話しかけてやり、甲斐甲斐しく面倒を見てやるとその赤ん坊はその愛情の分だけ言葉が多様になり喋れるようになるということだ。 つまり言葉がしっかりしているということであり、言葉がしっか...

UbuntuはGNOME3.38で行く。

Ubuntuは gnome 3.38で行くようだ。 3月には gnome 40が出るのだが Ubuntu 独自のテーマやデスクトップレイアウト実現できないということで先送りになるようだ。 Ubuntuははるか昔ならば gnome デスクトップをそのまま載せていたが最近ではと言っても10年程前になるが、独自のデスクトップを模索していて Unity スタイルを作り上げた。 それは一部の人にはウケがよく私もかっこいいなと思う場面が多々あったものだ。 だが、それもなくなり今のUbuntuデスクトップで名残があるとすれば、それは左脇にあるランチャーぐらいのものだ。 Unityデスクトップはとっくの昔に廃止されてしまった。 なので Ubuntu もgnome をそのまま載せても良いのではないかと思えるのだが、やはり Ubuntu の特色がなくなってしまうということでこだわってるようだ。 私もみんな同じ外見になるとつまらないと思っているので、そういうこだわりは好きだ。 だが、毎回毎回そういうテストに手間取るようだと困るのではないかと思えてくる。 まあでもジレンマを抱えながらでもデザインを維持するというのは面白い試みだ。

Centos終了、CentosStreamへ

CentOS が終了した。 長い歴史があるプロジェクトだけあって非常に残念だ。 CentOS はこれから CentOS Streamになる。 CentOS STREAM は開発ブランチという位置づけだ。 Red Hat Enterprise Linux のコピーではなく微妙に新しいものや実験的なものは加えられるようだ。 Debian で言うてsid、upstable(不安定版)までいかないが、testing(次期版)という扱いだろう。 Fedora 34がさまざまな新機能無理やりでも詰め込もうとしているのを見て、なるほど Debian と同じように三つのバージョンで回していくわけかと思った。 だが、 Debian と違って完全なボランティアで行われている組織ではない、企業である。 私は企業活動を否定するわけではないがDebianと違って開かれた開発体制ではないRed Hat Enterprise Linux は CentOS Streamを使うことによって制限付き貿易のような開発体制にしたいのだろう。 Fedora は完全なオープンソースの体制だ。 開かれている。 多分これからCentOS を使っていたユーザーは苦労するだろう。 Red Hat Enterprise Linux が個人利用の規模を拡大したのは嬉しい限りだが、ビジネスをしていて CentOS を使って数十台から数百台に及ぶサーバーを構築していた場合、とても裏切られた形だ。 ビジネスモデルの変更を迫られる形になる。 また CentOS 9から始めるわけではなく影響が大きいのは CentOS 8から始めるという点だ。 今現在利用してるバージョンから始まってしまうことで多くの利用者は混乱している。 それに怒りを感じた CentOS の元の開発者は自ら別のディストリビューションを作るためにプロジェクトを立ち上げた。 長い間使っていたCentOSと言うロゴと名前を使えないのは痛手だが、超一級の開発者であるGregory Kurtzer(グレゴリー氏)はRockyLinuxを作ると言う。 まさにロッキーになった気分でリベンジするわけだ。 Never Give Up Fight 精神そういった形だろう。 実際に彼が希望だという人たちは多いだろう今まで通常通りやっていたビジネスのスタイルをいきなり変えなきゃいけないん...

爆球連発スーパービーダマン

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昔見ていた漫画に爆球連発スーパービーダマンという漫画がある。 これは私が子供の時見ていた漫画でビーダマンがほぼリアルタイムで進化していくので非常にワクワクとして見ていた漫画だ。 これが LINE マンガの無料期間中セールで単行本が出ていたので買ったのだが、改めて見てみると結構いいセリフがあるなと思った。 その一つにこんなセリフがある第7巻でサラーがアキラを抑えながら言うセリフだ。 場面は伊集院との玉悟の最終決戦だ。 玉悟を背後からビーダマンで撃ち、伊集院が負けるくらいなら自分の反則負けで良いと言い切るアキラを抑えながらサラーが言ったセリフだ。 「間違っている、全てを威圧し勝利することで心の傷を癒すなんて間違っている」 このセリフを見た瞬間にあーオンゲでチートを使うやつは全てを威圧し勝利することで心の傷を癒しているんだなと思った。 要するに自分の心の傷や劣等感、それらを拭い去りたりたいがために卑怯な手段を使ってでも全てに勝利したいのだ。 まさかスーパービーダマンの漫画を見て理解できるとは思わなかった。 作中でも伊集院率いるキングビーダーズは、Pi ビーダマンの情報を得るために日本ビーダマン連盟のサーバーをクラックしている。 そして普通では手に入らない Pi ビーダマンを使用していた。 一種のチートだ。 それもやはり全てを威圧し心の傷を癒さんがためだ。 私の中ではこの爆球連発スーパービーダマンは子供の頃のいい思い出であると同時にいまだ衰えないバトルホビー漫画だと思っている。 今の安全基準や非常にうるさい保護者さんからの言葉のなど気にせず、思うがままに面白いホビー漫画を書いている。 この熱さ激しさ今は無いものだ。 ツッコミどころが多すぎるとか、こんなビー玉危なすぎる大人は何してんだとか今の時勢だったら馬鹿なコメントをしそうだ。 それがこの当時は全くないんだ、面白いものだ。 時間が経てば進歩するように思えるが表現の自由という点では少し堅苦しくなったような気がする。 そして少しの物の言い方で、その人全てを否定するような激しさで不道徳さを指摘する。 これは恐ろしいことだ。1回不道徳だというレッテルが貼られるとどんな弁解も聞いてくれないほどの激しさだ。 インターネット上の Twitter でよく炎上などがあるが、それは匿名的なアカウントを使っての激しいやり...

Fedora34の変更が膨大な件

Fedora34の変更点が凄い。 もしコレが本当に全部実装されるならとんでもない量だ。 Fedora34デフォルトでBtrfsがZstdを使った透過的圧縮をサポート。 全てのオーディオをpipeWireにルーティング。 デフォルトでSystemD-oomd を有効にする。 ibusのデフォルト IME をanthyにする。 LTOビルドの改善。 openSSL3.0に移行。 SELinuxランタイム無効化のサポート削除。 DNF/RPMコピーオンライトの有効化。 Ruby3.0の導入。 スタンダアロンパッケージとしてXwaylandの導入。 カーネルファームウェア圧縮。 nscdの廃止。 X.orgユーティリティの分解。 ntpをntpsecというフォークしたソフトに置き換える。 などなど数え切れない程だ。 上記に上げた以外にも変更点はある。 コレを後6ヶ月ばかりでやろうというのだから壮大だ。 デスクトップユーザーという視点だけで考えてもpipeWireの導入でplusaudio使わいというだけでかなりの変化だ。 それに日本語圏のユーザーは幾年ぶりかにanthyを使う事になる。 これはibus-KKCの開発が停滞している事からanthyに戻そうと言うのだ。 anthyは新たな開発者を得て再びFedoraのIMEになる。 もし、間に合うならGNOME40の導入で、目に見えて外見が変わる。 GNOME40は横スクロールを主に使い、縦スクロールを使うブラウザやエディタ、オフィスなどと被らない様になっている。 これもユーザーから見れば大きな変更だ。 それにsystemD-oomdも使うらしい。 これはメモリーが足りなくなった時に所謂ハングしてしまうのでは無く。メモリーを使い過ぎているプロセスをキルする事で、システムのダウン回避を図るものだ。 もちろん、ユーザーはキルしたくないプログラムを指定出来るし、害よりもメリットが大きいという事だろう。 個人的に気になっているのがDNF/RPMコピーオンライトの有効化だ。 どうやらインストールやアップデートが高速化するらしいのだが、詳しい解説を出来るほど詳しくはないのでサイトを直接見て欲しい。 Fedoraチェンジセットのリンクは下記だ。 https://fedoraproject.org/wiki/Changes もし興味があるなら見...

plasmaKDE 5.21

plasmaKDE 5.21 ネイトと言うplasmaKDEの開発者がいるのだが、そのブログで新しいplasmaKDEの機能が紹介されていたのでその一部を紹介しよう。 ブログリンクは下記に貼っておくので詳細を知りたい人は見て欲しい。 何と驚くべき事でKwinウインドウマネージャーのコンポジットをほぼ完全に書き直したと言うのだ。 これにより全体のレイテンシが大幅に削減されたというのだ。 これが本当なら素晴らしい改善だ。 これは多くのプロプラエタリソフトウェアで、新しいバージョンが出る度言うセリフだが、オープンソースソフトウェアである、KDEプロジェクトはそんなセールストークと違い、明確に検証され、それが本当であると全ての義論の過程、ソースコードが公開がなされているで、確かに改善されているのだ。 それに新しいキックオフメニュー(いわゆるスタートメニュー)が登場するらしいのだ。 これはリンク先の画像を見てもらえば分かるのだが、Windows10のメニューに少し似ている。 メインのメニューの横にタイルメニューでないが、アプリの情報が表示されるのだ。 なかなか良いと私個人は思っている。 もちろん従来のメニューも選択可能だから安心して欲しい。 さて、2021年を迎えてもKDEプロジェクトは前進しているのは間違いない。 Systemdの使用によるブートタイムの削減。 新しいコンポジットによるレイテンシの大幅削減。 ユーザーが感じやすい改善の目白押しで新年早々楽しみだ。 ま〜もう11日経っているが、それでも楽しみだ。             それではまた。 https://pointieststick.com/2021/01/08/this-week-in-kde-new-kwin-compositing-new-kickoff-new-recording-level-visualization/

Dplayが終了した。

サービス開始から一年余りでの終了である。 大変残念である。 私は1年楽しませて貰ったのでどうして辞めるのか最初は分からなかったが、振り返れば確かに私も見ていたのはクラシックカーディーラーズと他に少しサバイバル系を見ていただけだ。 やはりAmazonPrimeVideoの様に様々なジャンルがある訳ではないし、私が特に好きなのが、クラシックカーディーラーズというだけで他のアメリカ的な車番組はそこまで好きになれなかった。 だから、視聴時間も後半は殆ど無かった気がする。 終了が迫り名残惜しさから見直したが、惜しいサービスだと自覚して終わった。 だが、名残惜しさがあるという事は楽しかったのだ。 だから、一年でも契約して良かったと思える。              それではまた

調子が悪い。

今日は寝不足のせいか調子が悪い。 運動不足もあるだろう、ウォーキングマシーンを買ったのだが、ここ2週間使用出来ていない。 歩かなければ体は駄目になるらしいので何とか再開せねば。

私の使っているスマホ

AQUOS Sense 3もう今や旧型に属する機種だ。 最初出た時ちょうどいい値段ちょうどいい機能ということで買った。 iPhone という非常に高価なスマホを買う気にはなれなかったからだ。 カメラの性能もよく世界最高のスマホ向けプロセッサを積んでいても高額で、落とせばすぐ壊れてしまうのでは、私のようなうっかりさんでは使えないなと思ったのだ。 この AQUOS sense 3はもう3回以上腰の高さから落としているがフローリングの床をにぶつけたとしても動作に支障はない、画面も割れない。なかなかに頑丈だ。 それに生活防水はしてあるからアルコールウェットティッシュで存分に拭いても大丈夫だ。 それにバッテリーの持ちも確かにゲームをしたりすればそれはすごい勢いで減っていくが、それはどのスマホも同じだろう。 使わないで放置しているぶんには結構バッテリーは持つ。 私は AQUOS sense 3にスマホカバーをつけてない。 なぜなら、わざわざさっと取り出してさっと電話できるというようにスマートに取り出せるようにしてあるのに無駄な引っかかりを持っていてはスマートさがなくなるからである。 ポケモンのスマホカバーなどをつけたい人の気持ちも理解はしている。 それに5グラム軽い重い、薄さが1ミリ2ミリ薄いとかよくスマホのレビューなんかで見るが、私に言わせれば1 mm 2 mm 薄くするために堅牢性を無くした結果、50 グラム、40 グラムほどあるスマホカバーをつけると言う矛盾した行動をとってるように思える。 それにガラスシールを付ければそれだけ視差が大きくなり疲れる要因にもなる。 安いことはいいことだ、あまり考えずにぞんざいに扱っても心が痛まない。 また、ぞんざいに扱えるということは貴重な精神的リソースを別のことに向けられるということだ。 頭の片隅に10万円する iPhone のローンを抱えている自分が常に存在していることを考えれば、それから解き放たれてることがどれだけ有意義がわかるだろう。 まぁかくいう私もそういう気遣いがなかったら欲しいがな。 長話もこの辺にしておこうそれではまた