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明けましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。 ものすごく晴れてびっくりしています。 いい天気ですね。 まぁこんないい日は日向おぼっこしながらおせち食ってゴロゴロも新年なのだからいいのかもしれませんね。

今年も色々あった振り返り。

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以前投稿したヒカリのフィギュア結局買えないことになった。 まあなかなかだ。 どうも大元のグッドスマイルカンパニーがこけたようだ。 だけどまぁ今年も色々あったな最後までいろいろあった。 今は孤独のグルメを見ている。 久しぶりにパソコンの OS を Fedora にしたし。様々なブログにコメントを残したりするようになった。 小説も34万字を超えて後半の展開が気に食わないので書き換えたりしている。 思えばこの一年、随分色々な小説を書いて物だ。 魔法少女リリカルなのはの小説。 少女と箱、ブログの小説だ。 公開していない小説もあるし最後まで完成してないものもうあるかそれだけでも10作品以上書いてる気がする。 まだどれも完結はしていない完結させたい気がする。 なので来年になったら一話完結型の小説を書こうかなと思っている。 一話完結型で主人公は一人毎回コロコロコロコロと違うところで人と出会ってその一話で完結する。 キノの旅の様になってしまわないように気をつける。 アレは傑作だからな息も長いし。 ブログの開設も考えてみたら今年からだ。 コロナで何もかも狂ってしまったが、代わりに少し前向きな行動している気もするやけっぱちとも言えるが。 まあいいんじゃないか愉快な人生には挑戦がつきものだ。 まあ挑戦と言っても私はインドアだが。 ピアノも多少弾けるようになった。 母親がピアノをしてるのだから私も弾けるはずだと思って練習していたらなんとなく弾けるようになってしまった、驚くべきことだ。 今孤独のグルメは洋食を食ってるとこだな。 うまそうだ何の気兼ねもなしに洋食が食えるようになるにはもう少し時間がたたなきゃ無理そうだな。 GIGAZINE に漫画の原作応募が有るので投稿しているが、それは9月まだで、他の事が忙しくなってすっかり止んでしまった。 来年は再開したい。 シュタインズゲート忙しくプレイできていないまあいいんだ来年始めればいい。 来年FedoraはPipewireのデフォルト化、GNOME40の採用、Btrfsの圧縮にzstdを採用、パッケージインストールにBtrfsの機能を利用し高速化するとか、ワクワクさせる内容が多い。 ま〜、リリースはずれ込むだろうが、それでもワクワクする。 まぁ来年の1月初めから3月位まではコロナは猛威を振るうだろうから、気を付けよう。 もう、自粛は効かないみたい...

GNOME40

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GNOME40のUXがGNOMEブログに出てたので見てみた。 どうやらかなり変わるらしい。 上記のスクショがGNOMEブログに書かれていた。 これを見る限りではDOCLauncherの位置が下に来て、MacOS的だが、最新のMacOSに搭載されているコントロールセンターは無いのでDOCの位置と仮想デスクトップが横向き以外は変わらない様に見える。 だが、次のスクショでは少し変化が大きい様な印象を持つ。 GNOME3.38ではマウスなどを使う場合に仮想デスクトップを使おうと考えるとDOCLauncherがある左上角までマウスカーソルを動かし、その上、アプリ一覧を出してから、左側に飛ぶという作業が必要だったが、その動作が一回で済むようになっている。 もちろんキーボードショートカットを使い慣れていれば上記のマウス操作は不要だ。 俗に言うWindowsキー、Linux界隈ではスーパー(Super)キーと呼ぶが、それを押せば一発で一覧を出せる。 さて、GNOMEブログに書かれていたデモがあるのでご紹介しよう。 私としてはこの動き方を見るとGNOME40の方が好ましい様な気もする。 何故なら、GNOME3・38の仮想デスクトップをいつくも出していない時は、ただ、スペースを食うだけだからだ。 ご覧のように右側の仮想デスクトップは4つも出しているが、スペースを余らせている。 私が主に使っている15インチのノートパソコンでもこれはもったいないと思うので、GNOMEのUXデザイナーもそう、考えたのだろう。 それに最近のノートパソコンならタッチパッドはアップルに負けず劣らず高性能だ。 それに合わせたデザイン変更とも思える。 実際GNOMEblogでもタッチパッドの改善が項目の一つに上がっている所を見ると、デザイナーはノートパソコンでの使用を考えているようだ。 長々書いてもアレなのでこのへんで終わりにする。 https://blogs.gnome.org/shell-dev/ リンクを貼っておくので詳細を見たい人は見てほしい。

plasma kde 5.21はsistemdを使うらしい

plasma KDE5.21はsystemdを使うらしい。 正確には独自の起動システムと共存しながらsistemdに移行するらしい。 これによってサービスの起動が衝突したり、順序の逆転を防げるようだ。 Systemdが登場したときは色々と物議や論争が起きたが、今ではすっかり主流のinitシステムだ。 plasma KDEもGNOME同様にsystemDを使い高速ブート体験を提供しようとしている様だ。 実際、まだ、ベータ版にも関わらずにSystemd使用時にブート時間が短くなり、また、メモリー使用量も減ったという事だ。 plasma KDE5.21は来年リリースされるのでお年玉だと思って待っていれば良いだろう。 どうしても使いたい人はplasma neon Gitイメージをダウンロードすれば、いち早く触れるはずだ。

M1MacでFedoraが動作したらしい。

M1MacでFedoraが動作したらしい、 下記がTwitterに投稿された物だ。 Thanks for working so hard on these patches @_AlexGraf! They work really great. Here's Fedora 33 booting with UEFI/ACPI under QEMU on my M1 MacBook Air https://t.co/3cPhZONKIq アレックスさんのパッチのおかげでQUMU環境でFedoraが動作したらしい。 やはり素晴らしい製品を素晴らしいOSで使いたい思うのはプログラマーも普通の人も関係ない。 私もM1MacBookAirが欲しいと思っていたのだが、Fedoraを使っているので、これが動作して欲しいと思っていた。 これでまた購入したい気持ちが高まった。 だが、2021年に窒化ガリウムを使った急速充電器とミニLED搭載ディスプレイを使ったMacが出るとかいう噂も有る。 それまで現行の環境で、乗り切るか、人間いつまでも生きていると思うなと買うか、非常に悩ましい。

シュタインズゲート

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シュタインズゲート鈴羽エンドをクリアした。 これはどこでエンディングが分岐するか明白にわかるので選びやすかった。 携帯を取るか取らないかの選択だ。 その結果、岡部倫太郎が徐々に徐々に壊れていく緩やかで安全な精神の自殺をしてしまう。 そして、それは傍から見ていて痛々しい。 その痛々しさがついに幕を破って漏れ出し、鈴羽に見破られてしまう。 そして二人だけでタイムトラベルをして1975年飛ぶのだった。 詳細を乗っけてはこれからこのゲームを遊ぶことになる若い人たちに申し訳ないので書かないが、やはりこのエンディングを見るとその先がどうなったのか、どうしても気になってしまう。 そして岡部と鈴羽が旅立った後の3人はどうなったのかということも気になる多くの if 物語が生まれる所以だ。 アニメが放映された当時多くの絵心のある pixiv のユーザーたちが if 展開を書いたものだ。 それは今でも見ることができるし改めて見てもよく出来ているものもあるのだが、やはり今現在進行形で熱気を帯びているコンテンツには勝てない。 ここで言う勝てないというのは見てくれる人は少ないという意味だ。 作品の優劣ではない。 だから個人で楽しむには自由に見ればいいし好きな時に見ればいい。 誰が何と言うか描く人も作品を上げて放送とリアルタイムで熱気を見て盛り上がっていくそして閲覧数上がっていくその高揚感には代えがたいものがあるだろう。 それを経験できないのは10年前には生まれていなかった人達だ。 だから彼らは私とは違う別のもので熱気を経験するだろうから、まぁおあいこだ。 この作品のすごいところはやはり声優さんの演技と完成されたシナリオだろう。 宮野さんの演技が本当に壊れていく心を演じ切っている声が出づらくなる詰まってくる強い抑うつをしっかりと表現している。 これをまだデビュー間もない宮野さんがやったのだからすごいことだ。 これだけの演技が出来るからこそ今の飛躍があるのだろう。 それに自分よりベテランな声優さんと一緒に演技するということも今日の活躍の一助になってるだろう。 だが残念なことにこの Android 版シュタインズゲートはよくクラッシュする。 これによって物語を中座する羽目になり感情移入しているところを邪魔されることがある。 そういうの全く嫌でやめてほしいそんなことなら誰が買う...

シュタインズゲート

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助手が天使だ。 これは本当だ。 一人で奮闘し絶望し挫けた岡部倫太郎にタイムリープしてきた直後の顔を見て岡部が助けてくれと言う前に手を差し伸べてきたわけだ。 これを天使と言わないで何と言うんだ。 絶望し凄惨な光景を見続けた者は自ら手を差し出すこともできないほど疲れきってしまうものだ。 だから誰かから最初に声をかけてもらわなくてはいけない。 それを最初におこなったのがダルでもないしルカ子でもないし鈴羽でもない。 牧瀬紅莉栖、助手なのだ。 そして本当に弱りきった岡部倫太郎は牧瀬紅莉栖、助けてくれと言う。 普段人の名前もまともに言わない人間がまともに呼ぶ時いかに疲れ切っていかに絶望しているかというのがよく表現されている。 これが他の物に例えたらどうだろう。 パソコンオタクが新しい CPU を発表されたの見ても全然ときめかないと言うようなものか。 この天使力を発揮した牧瀬紅莉栖によって岡部倫太郎はもう一度まゆりを救うために立ち上がることができた。 そしてマイフォークの語りによって誰にも教えていないはずのワード。 アメリカ時代の友人にも日本の友人にも言っていないであろう極めてプライバシーな情報を打ち明けたわけだ。 それほど岡部倫太郎という男に気を許していてラボという場所に居心地の良さを感じていたのだろう。 飛び級でアメリカの大学に入った少女は同年代の近い人たちとの交流が希薄だったのかもしれない。 確かに実際の飛び級で大学に行った人ではその知性と趣味の幼さとの乖離が凄まじいらしい。 11歳で大学に入ったような少女はまだぬいぐるみが好きなのだが難しい数学や科学は理解できてしまう。 だが、大学に通っている人が皆難しい数学科学の話を常にしたいわけではないのは通ったことのある人間なら分かるだろう。 ぬいぐるみが可愛いって言ってる状態で止まってしまったいる少女にそういった人達と話せるだろうか?。 答えは話せない。 話す側も極めて倫理的にならなくてはいけない猥談なんてもってのほかだしぬいぐるみの可愛いさを自慢する少女に合わせなくてはいけないのだ。 そうなれば自然と面倒くさくなって交流しなくなってしまうだろう。 そうあれば少女はやはり孤独になってしまう。 牧瀬紅莉栖がこの先ほど開けた実例のような少女の経験をしたかどうかはわからないがやはり同年代で何の遠慮もなくしゃべって...